コミュニケーション術

   2015/11/21

長谷部誠が明かす、海外で信頼をつかむための「コミュニケーション術」
引用元:Soccer Magazine ZONE web 11月20日(金)21時35分配信
http://www.soccermagazine-zone.com/archives/20441

「練習で削られても、やり返していた」

 38年前、ドイツに渡って9シーズン活躍した“海外組のパイオニア”奥寺康彦と、昨シーズンのブンデスリーガでキャリア最多となる33試合出場を果たした“日本のキャプテン”長谷部誠が対談。「共通点が多い」という2人の話は多岐に渡った。

 3回に分けてお届けする対談の第1回は、海外でプレーし、結果を残すために重要なチームメイトたちとのコミュニケーション術について。長年ドイツで戦ってきた2人は、どのようにして信頼をつかんできたのだろうか。

 ◇   ◇   ◇

――ドイツに来たばかりの頃については覚えていますか?

奥寺 何もわからない状況で来て、大変だったな。しかも、僕が到着した1ヵ月後には家族が来ることになっていたから、そのために家を探し、家具を買いに回って。最初はドイツ語も話せなかったから、語学学校にも行かないといけなかったし。もちろん、練習にも行かないといけない。不安みたいなものはなかったけど、やらなければいけないことが一気に来た感じで、落ち着かなくて、ストレスが溜まったことを覚えてるよ。

長谷部 僕の時はインターネットも、日本食も手に入る環境が少なからずありました。僕も正直、大変ではありましたけど、奥寺さんの時とは比べものにならない気がしますね。

奥寺 あの頃は(家庭用の)ビデオもなかったんだから(笑)。そう考えると、すごい昔だよね。

長谷部 ご家族と連絡をする時はどうしていたのですか?

奥寺 もちろん、携帯電話はなかったから、ホテルから電話をかけたりしていたよ。

――長谷部選手は、インターネットの開通までにかなり難儀したとか。

長谷部 (業者に)お願いしても「明日、工事をしに行くから」と言われるんだけど、全然来ない(笑)。来てくれたのは2、3ヵ月後でした。でも、奥寺さんや高原(直泰)さんの活躍もあって、僕はドイツについて多少なりとも分かってから行ったので、奥寺さんの時と比べれば苦労は少なかったと思います。

――奥寺さんは、移籍が決まる前に他の日本人選手と一緒に練習参加をされていたんですよね?

奥寺 5人が参加したんだけど、なぜか僕だけが1軍のメンバーと一緒に加わるように言われて。僕にばかりパスが来たんだ。監督からそういう指示があったのかもしれないね。

――日本人選手がヨーロッパに移籍すると、初めのうちはなかなかパスを出してもらえないこともあるそうですが?

長谷部 僕の時にも、「日本人にサッカーできるのか?」というような雰囲気はあったと思います。

奥寺 まだあった?

長谷部 ありました。最初の練習から、ボールと関係ないところで自分のライバルとなる選手に、削られたこともありました。でも、そこでやり返さなければダメだと感じて、やり返していました。その中で、少しずつ、認めてもらっていったのかなと感じます。

「チームメイトの誘いは断らなかった」

奥寺 僕が来た時は、逆に、そういうのはなかったんだ。ただ、試合に出た時にはあまりパスが出てこなかった。例えば、同じ左サイドには、(ウイングを務めた)自分の他にサイドバックの選手がいたんだけど、彼は攻撃が好きで、どんどん中に入って来る。僕もパスをもらおうとして走って、フリーになるんだけど、パスはなかなか出てこなかったな。それで、相手ボールになるとディフェンスの選手たちと一緒になって守備に戻っていたね。

長谷部 そうやって、チームのために献身的に働くところが評価されていたのではないですか?

奥寺 それはあるかもしれない。練習前に若い選手たちと一緒に早めにグラウンドに出て、5対2のパス回しとかをやっていたかな。そういうのも良かったのかもしれない。

長谷部 やはり、そうやってチームに溶け込んでいくことは大事ですよね。奥寺さんに関する記事を少し読ませてもらったんですけど、奥寺さんはお酒の席にもどんどん参加されたようで……。

奥寺 そう、そう(笑)。

長谷部 社交的なタイプだったんですね。

奥寺 実は、社交的ではないんだよ。本当の僕を知っている人は「奥寺が外国に行って大丈夫なのか?」と思っていたはず。人見知りというか、なかなか自分から輪に入っていけないタイプだからね。長谷部はどうなの?

長谷部 僕もどちらかというと、社交的ではないですね。ただ、ドイツに来たばかりの頃は、チームメイトからの誘いは断らなかったですね。「飲みに行くぞ」とか、「ディスコに行くぞ」とか言われても、本当は嫌なんだけど、一緒に行って。しかも、みんな朝方までいるじゃないですか? 1人だけ先に帰ったら、どう思われるのかなと感じて、遅くまで付き合っていたこともあります。さずがに、最近はそういうことはないですけど。

「ドイツ語を覚えるためには……」

――ピッチの上で活躍するために、ピッチ外での付き合いをする必要もあるということでしょうか?

奥寺 チームによるかもしれない。ケルンではほとんどなかった。ブレーメンは田舎だったし、みんなで飲みに行ったりすることがあったかな。ブレーメンでは、新たにチームに入った選手の歓迎会をするんだよ。

長谷部 そういうのは、今でもありますね。

――サラリーマンの世界のようですね。

奥寺 そう。僕の時は、僕の他に新たに来た選手が2人、計3人を歓迎するためにみんなが集まってくれて、すごい飲まされた。彼らは新加入の選手にお酒を飲ませて、つぶそうとするんだ。でも、俺は負けなかった(笑)。

長谷部 それもコミュニケーションの1つで、大事なことですよね。それに、ドイツ語を覚えるためには、そういう場に行くといいですからね。

――ちなみに、メディアとの関係についてはどうでしたか?

奥寺 ブレーメンの時のオットー・レーハーゲル監督は、あまりメディアに話さないタイプだったね。

――後にギリシャ代表を率いて2004年のEURO優勝を飾るレーハーゲル監督はインタビューを受けないことで有名です。

奥寺 レーハーゲルは、僕らに「チームのことについて、話していいことは一切ない」と言っていたね。だから、僕らもチームのこととかは一切しゃべらなかった。個別のインタビューなどではある程度の話をするけど、試合が終わった後などは、当たり障りのないことを話していたな(笑)。ドイツは全般的に厳しい言い方をするんだよね。良い時は良いと言ってくれるんだけど。

長谷部 メディアに関していえば、日本とはやはり違いますよね。

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